Update 17.Aug.2013
昔の無線局機器の写真集
アマチュア無線に関連した写真を探してみたがあまり多くはない。
交信はもちろんしてはいたが、作ることや弄ることの方が好きだった。
特に受信機に情熱を傾けていろいろと作ったり試したりしていた。
そんなことから受信機を写したものばかりだが、
今みたいに詳細に記録を残すつもりもなかったので、
完成したものだけの記念写真みたいだった。

(周波数単位については当時の呼びでMc,Kcにしてあります)

'62〜'63年の中3から高1の頃のまだSWLだったときの50Mc用の300Ωリボンフィーダーを使ったフォールデッドダイポールアンテナと144Mc2エレ八木アンテナ。手前はFM受信用だったと思う。
144はアンテナだけ、50は超再生式受信機でよくワッチしていた。
中3の時に作った50Mc超再生式0-V-2受信機。高1の三学期に局免がおりて高2で開局時50Mcで運用を始めたときもこの受信機1台だけで大活躍だった。
性能を細かく追い込んで感度、選択度など再生受信機としてはなかなかのレベルだったと思う。
50Mc送信機用に作って用意した電源。
整流管はGT管の5Y3、DC250V-100mA程度の出力だったと思う。シーメンスキースイッチ連動のスタンバイリレーで供給していた。
開局時の50Mc送信機。6J6で発振・逓倍、終段電力増幅12BY7A、変調電力増幅6AQ5シングルでハイシング変調、入力は最大5Wほどだった。メーターはグリッド電流とプレート電流を切り替えて読むことが出来た。
小さなシャーシの割に大きなアンテナリレーが載っかっていた。同軸ケーブルをどうやって接続していたかどうしても思い出せない。
12BY7AはTVの映像信号出力用に設計されたCpgの非常に小さいMT管で中和などの処置も要らず、VHFのQRP出力管には打って付けの球だった。一応ソケット中央で入出力を真鍮のシールド板で遮蔽している。
開局前の準備で、50Mcでの運用開始は決めていてアンテナをどうしようと思っていた所に、CQ誌の広告だったと思うが名古屋市の確か小坂井無線と言う店のオリジナルの4エレ八木が¥2.0Kで出ていたので蒲郡から東海道本線の電車に乗って買いにいった。帰りにそれを裸で持って加藤無線に寄ったら店員がバカにした様なことを言ったので腹が立って何も買わずに帰った思い出がある。
1本が何メートルだったかわからないが45mm角の垂木を2本分の長さでハシゴを作って垂直にして針金のステーで固定した。最初はブームは固定だったがしばらくして中央にコンジットパイプを通してサドルを緩めにして回る様にしておいた。トップの地上高は8〜9mくらいになったと思う。クギを打っただけで何となく危なかしいしステーの針金も細いので、自分でやっておきながら恐くて信頼出来ず、スタブの調整とか点検などで10回ほどしか登らなかったと思う。

50Mcクリスタルコンバーター。どんな構成だったかほとんど憶えていないのだが、RF増幅がTV用双三極管のカスケード接続で局発が42.7Mcだったかの変な周波数のジャンクのXtalだったと思う。CQ誌の秋葉原のジャンク屋の広告をみては安いのばかり通販で買っていたから仕方ない。
50Mc超再生式受信機に限界を感じてスーパーヘテロダインの親受信機にと手持ちの有り合せのパーツでクリコンと一緒に作った記憶がある。これもまた糸掛けの扇型ダイヤルでやりたくてエスカッションを木で作って塗装した。そのためミツミのMD-5と言うバーニヤ式の扇型ダイヤルもあったのだがあえて使わなかった。今で言うRITみたいな微調のスプレッドも付けたのだがあまり用を成さなかったな。
回路構成は高1中1のシングルスーパーでトリオのモノバンドコイルを使ってカバーリングは3.5〜10McのHF1バンド、局発は他励にしてIFTはトリオのT-6(T-11の1段用)、BFOは全く不要と言うことで付加しなかった。かなり後になって大きくスペースを占領していた整流管(ST管の80BK)とブロックの電解コンデンサを取除いてクリコンを組込んだ憶えがある。
この受信機はなかなか調子が良かったが、家庭の事情でアマ無線中断を余儀無くされ一部の他の部品と共に他人に預けてしまってそのまま行方不明になってしまった。V・UHF送信管の2B94やパワートランジスタ等もあって、もう45年以上も前の事だが未だに思い出しては気になってトラウマが出てしまう。
春日無線(トリオ)9R-42J、そのプロトでハリクラフターズS38などのメインとスプレッドが対向する扇型ダイヤルのいかにも通信型と言うデザインが大好きで憧れでもあった。同じくハリクラフターズSX-99の扇型ダイヤルが横に二つ並んだデザインもいいなと思い、そのイメージでこの受信機を作った。こんな形のダイヤルは部品として市販されていないのでエスカッションを木で作って塗装しガラスをはめ込んだ。
チューニングノブにバーニヤダイヤルを介して糸かけでメカニカルスプレッド効果を狙ったのだがこれが大失敗だった。モノバンドでなら良くても大きいスパンでQSYするのにクイックで出来ないし、バーニアダイヤルの回転頻度がハンパじゃなくてすぐにスリップしてしまう、耐久性を考慮しなかった若気の至りのお粗末ですぐに嫌気がさして早い時点で解体してしまった。
構成は極スタンダードな高1中2でトリオのKR-3Bと言う3バンドのコイルパックと同じくトリオのT-11と言う帯域の狭い高選択度IFTを組み込んでカバーリングはBCバンド、3.5〜10M、8〜23Mだった。
当時最新で人気があった9R-59をバンド数以外ほぼ踏襲したものだったが、局発を他励にして電圧安定管を追加したことがプラス性能だと自負していた。しかし、ダイヤルメカニズムでつまずいて見事敗退。
この写真これ1枚しかないのだが、何なのかまったく判別出来なくても曰くがあって外すことは出来ない。写っているのはやはり受信機。
当時、西村通信工業からSDS70という回転レシオが50:1の超微動のギアダイヤルが「メカニカルバンドスプレッド」のキャッチコピーで発売されて、丁度HF受信機を作ろうと思っていたタイミングで好みのデザインだし良さそうなので買ってしまった。
これを使ったハムバンド専用受信機で、高1中3集中IF、トリオのモノバンドコイルを組合せて4バンドのコイルパックを作って組込んだワタシとしては苦労して作ったかなり高性能な受信機だった。
高2の時に同級生に授業中の留守を狙われて持ち出されてしまった。返せと言っているうちに本人の所在が怪しくなって話が出来るうちにと¥10Kで売却と言うことになってしまった。今でもたまにその忌まわしい気持ちが沸き上って来る。