開局当時の無線局 昭和39年2月25日に無線局免許状が与えられ開局となった。 高校生で資金のまったくない状態だったのでリグの全ては自作、パーツはTV、ラジオ、その他からの部品取りやジャンクの中古パーツを活用と言う、まことにプアな無線局の始まりだった。新品で買ったものは水晶振動子とコントロールノブ、ショップオリジナルの安物八木アンテナだけだったように思う。中古の同軸ケーブル3C-2VをローカルOMから頂いてオン・エアに漕ぎ着けた。 免許は3.5、7、21、28、50の5バンドでほとんど50Mcバンドのみでの運用だった。 |
 50Mcオンリーで運用を開始したが、送信機は水晶発振の5逓倍、終段12BY7Aで入力3W、変調は出力管6AQ5のハイシング変調A3のQRPだった。 カプラやチューナーなどはなくタンクコイルからいきなり同軸ケーブルでアンテナへ饋電と言うものだった。 |  受信機は超再生式で始まった。検波管は三極管の6C4で、ステアタイト製バリコンのステータを中央半分で切ってスプリットステータで使った。 八木アンテナに助けられて100局ほどのQSOに成功したのは大したものだ。ただどうしても同調がブロードなのでローカル局に出られるとつぶされてしまいまったくダメだった。 |
 開局2年後頃のシャック。 相変わらず全て自作のリグだが、受信機に当時スタンダードの高1中1+Xconのコリンズタイプが加わっている。 写真には写っていないがやはり自作のUY-807シングルの7McTXもあった。 |  50Mc4エレメント八木アンテナ。 垂木で梯子を作って中央にマストを通して手動で回していた。このアンテナには良く働いてもらってプアな送受信機を助けてもらった。 当時の同軸ケーブルは75Ωが主流で、輻射エレメントのスタブでマッチングを取っていた。 |
 最初のQSLカードは手書き原稿でコピー葉書。 |  2番目のQSLカードは手書きで簡易印刷。 |